異世界迷宮GoGoGo

彷徨い歩きながら、口笛を吹く。そんなブログ。

食べることだけ考える暮らし

世間では『食べていくだけで精一杯』みたいなことを言ったりしますが、たしかに食べていけたら生きていけるわけで、しかもその食べるコストを抑えていけば、お金なんて必要ないわけです。

アンチ資本主義でお金を完全否定して生きていきたいわけではないのですが、情報化社会というものが、すっかり商業主義とがっちりタッグを組んで、お金を必要以上に欲するシステムがこれだけ完璧に出来上がってしまうと、お前らの好きにはさせんよ…という気持ちもモクモクと沸き上がってきたりします。

一番賢い生き方は他人にお金をガンガン回させて、自分はその恩恵にあずかるというソシャゲの無課金勢みたいな風になるのかな…と。

生活保護を受けたところで、結局はお金に縛られていることには変わりなく、働かずに食べていくという効率さのようなものも、結局は経済活動という巨大なシステムの一角でしかなく、賢い生き方とは程遠いものです。

安易に情報に踊らされて、お金を吐き出させられるような生活をするよりも、安くて健康にいいものを食べることだけを考えて生きるという生活は思った以上に賢い生き方かもしれない。

庭の木を切る

実家の庭の木を切ることなった。

道具は中学生のときに技術の授業で使っていた錆びたノコギリ一本。

伸びに伸びた木の枝は、まるでパズルのように複雑怪奇に絡み合い、なかなか作業が進まない。

悪戦苦闘していると体温が上がり、厚着を脱いで、日没まで時間を忘れて、邪魔な枝を斬って斬って斬りまくった。

こんなに自然と戯れたのは、どれくらいぶりだろう。

やりきった爽快感というよりも、何か気持ちがスッキリした感覚に、やはり定期的にこういうことはすべきなんだろうな…と思った。

親と子の狭間で

子供が未成年で親は介護が必要な年齢に突入。

どうやら人というのは最初と最後は家族に面倒を見てもらうようにできているらしい。

最近しみじみ核家族というのはいろいろと問題が多いなぁ…と思う。

村社会から解放され、核家族化したことでしがらみから抜け出した日本人は望んだ幸せを手に入れられたのであろうか。

最近は自分個人の幸せよりも周りの人の役に立てているかどうかが気になるので、割と個人レベルでは幸せでいい年の重ね方をしているのかもしれない。

ありがたいことです。

親の介護と自分のケア

母親の介護認定の日が近づいています。

月に何度か様子見に行っているので、そういう視点でみるとあまり何も変わっていないように感じるのですが、年単位で考えるとやはり年々衰えているのは事実です。

幸いなことに父親がまだしっかりとしているので、私が介護に手を取られることはないのですが、この先何が起こるかわかりません。

親の面倒はある程度見る覚悟はあるのですが、逆に自分の娘にはそういう煩わしいことはさせたくないので、いまからでも老化を遅らせるためにできることはやっていきたいといろいろと勉強中。

そうやって考えると親や子供のことをしっかりやるためには、まずは自分のケアが最優先でいいのかな…と。

人は皆天才

人は生きていく上で何らかの枠にハマる必要がある。

でも、それは人類に共通の絶対的な価値観というものではなく、時代や文化、歴史や社会制度、宗教や科学というその時々のよかろうという規範に沿ったものになるので、当然その枠組みから外れるものが出る。

枠組みから外れたときは、無理に枠にハマろうとせずに、自分を取り巻く環境や自分の意識を変えてやり過ごすのもありだと思う。

世界は常に変化し、その枠組みを変えていく。

いつか自分が知らぬ間にその枠組みのど真ん中に座っているときが来るかもしれない。

世間を脅かす異端児が世界を救う天才と祭り上げられる日が来るかもしれない。

 

そんなことを妄想しながら、生きていくのも全然悪くはない。

断捨離の前に時間の確保

現在、週休二日で働いています。

去年まではその休日にいろいろと予定がいろいろと入っていて、自分の自由な時間がなかなか持てなかったのですが、今年に入ってからは、それらの雑務からは解放されたので、すごくゆとりを感じながら生活を送っています。

時間があるので身の回りにも目が行くようになり、いらない物の処分がすごく捗ります。

時間がないと所持品を適当に積み上げたり、突っ込んだり、ごちゃ混ぜにしたりして、すごいことになっていても、全然気をかけることができなかったのですが、余裕ができると流石に目につくようになります。

断捨離で時間や心に余裕を持つ生活の実現というよりも、時間や心に余裕がなければ断捨離に至れなかったことを考えると、私的にはゆとりのある時間の確保ということが人生で最重要課題だったんだな…ということが今更ながらに理解できました。

今後の課題としては手にした時間を持て余して、あれこれしようと画策せずに、何もせずに楽しく時間を過ごせる方法を模索していきたいと思います。

買わない生活

先月の後半から『買わない生活』を実施しております。

物価上昇しても何も買ってなければ何の問題もないのですよ、はい。

基本的に他人にいいようにされることを好まぬ性格なので、この仕組まれた資本主義システムに真っ向戦いを挑んでやるぜ!的なノリで毎日何も買わずに生活。

個人的に必要な物は購入しますが、それ以外は先送りでお金は使いたくない!という強固なメンタルが完成しました。

他の家族にこの生活を強要しているわけではないので、彼らの贅沢のおこぼれをいただきながら、欲望を満たしていくのも、なかなか楽しい。

実は毎日履いているパンツに擦り切れて小さな穴が空いているのですが、そもそもパンツには大きな穴が空いているもの!という謎理論で小さな穴くらいでは買い替えの理由にはならんな…という自分でもどうなんかな…という境地にまで至っているので、この先少し心配ではあります。